知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

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ニュース

第65回知覧特攻基地戦没者慰霊祭参列

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5月3日、鹿児島県南九州市知覧町 知覧特攻平和観音堂において「第65回知覧特攻基地戦没者慰霊祭」が挙行されました。
鳥濱トメ顕彰会理事長、赤羽潤顧問と会員を含む関係者が例年に続き参列してまいりました。
慰霊祭には800名を超える参列者が訪れました。しかし、年々参列者の減少が目立つようになりました。
慰霊祭の受付では式次第のほかに、特攻隊員を象った落雁や、名産である知覧茶葉の新茶、知覧町の観光マップなどが配布されました。
昼食用に知覧茶のペットボトルとおにぎりのパックも頂くことができ、受付会場で飲食することも可能です。

慰霊祭の開会前に海上自衛隊鹿屋基地から慰霊飛行でP-3Cが青空を舞いました。慰霊祭は開式のことばから始まり、日本礼道小笠原流鹿児島支部の方々の「献茶」、参列者一同「礼」、「黙祷」と進められていきます。黙祷の後、流れる読経の中で各関係者らの焼香、追悼の言葉、慰霊の言葉を市議会議長、県議会議員、ご遺族ならびに関係者が述べられました。その後、(社)詩吟朗詠錦城会による献詠、慰霊電報披露、参列者全員による献花、自衛隊による献奏、南九州市長挨拶ののち、参列者全員で「加藤隼戦闘隊」「同期の桜」を合唱し閉式となりました。おおまかな流れは毎年同様となっております。
本年は慰霊祭の終了後、当会理事長と赤羽顧問同行で、慰霊祭に参列したなでしこ会(戦時中に特攻隊員らの身の回りのお世話をしたなでしこ隊だった方々)の方々と一年ぶりの再会を果たし、少しお話をさせて頂きました。

ぜひ、一人でも多くの方に知って頂きたい事実があります。

大東亜戦争末期、悪化した戦局を打開するために用いられた作戦に若者たちが命を懸けて、家族、恋人、故郷を守るために、250キロから500キロの爆弾を抱いて「特攻」しました。そして、その若者たちを心からもてなし、心を痛めながら出撃を見送り、戦後は慰霊のために奔走し、その人生の全てを捧げた鳥濱トメとその家族の存在があったこと。
皆様も、ご家族、ご友人、知人の方々に伝えて頂けましたら幸いです。

鳥濱トメ命日

平成4年4月22日

特攻の母と呼ばれた鳥濱トメは、鬼籍へと入りました。89歳の大往生でした。

昭和の初めころから鹿児島の知覧町(現南九州市知覧町)で『富屋食堂』を営んでいました。大東亜戦争開戦後、陸軍指定食堂となった富屋食堂には多くの若者たちが訪れました。
戦争末期には知覧の基地は特攻隊の出撃基地となり、トメはその特攻隊員を私財をなげうってまで、もてなしました。当時、特攻隊員は全国から知覧に集められていて、その出撃前の最後のひと時を深い愛情で包みこみ、彼ら全員の”お母さん”となったのがトメでした。

 世の中では、戦争中は「軍神」などと崇められた特攻隊員でしたが、敗戦後すぐに手のひらを返したように特攻隊を「軍国主義の象徴」などと蔑み、生き残った方々でさえ「特攻崩れ」と言われ罵倒されました。
そんな中、世間が何と言おうとも「特攻隊のあの子たちの為に観音堂を建てなくてはならない」と言い続け、敗戦後に米軍が知覧に進駐しているときから、飛行場跡地に棒杭を立てお墓代わりとして、毎日毎日お参りしていました。

その願いが叶って、知覧の飛行場跡地に特攻観音堂が建ったのは戦後10年たった昭和30年9月のことでした。
それからも、トメは足腰が悪くなり通えなくなってしまうその日まで、欠かさず観音堂へお参りを続けました。
そのたびに、近所の子供達を観音堂へ連れて行き掃除をさせ一緒にお参りしました。特攻隊員のことを語りながら、おやつや果物などを食べさせて、観音堂に慣れ親しむよう、そして観音堂への参拝が「当たり前」になっていくようにと、長い時間をかけて尽力されました。
それが、現在も続く「特攻慰霊顕彰の町 知覧」へと続いているのです。
知覧の観音堂の御宝前で毎年5月3日に盛大な「知覧基地特攻戦没者慰霊祭」が催行されています。
我々は鳥濱トメが遺した、特攻隊員への慰霊顕彰の気持ちを受け継ぎ、一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。

お時間がございましたら、トメの想いに皆様も手を合わせて頂けましたらと思います。

事務局

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【万世特攻慰霊碑慰霊祭 供花】

本年4月14日(日)に、鹿児島県南さつま市にある『万世特攻平和祈念館』前にて『第48回万世特攻慰霊碑慰霊祭』が催行されました。
ご遺族のほか、旧隊員、関係者など約300名が「よろずよに万世特攻慰霊碑」前に集いました。
毎年4月の第二日曜日に催され、各行政の長や旧隊員のほかに地元の高校生なども慰霊の言葉を述べます。
本年も会員の皆様のご支援のもと、供花をさせて頂くことが出来ましたのでお写真を掲載いたします。

知覧から西へ約15キロ行った吹上浜に「万世飛行場」は昭和18年夏から19年末にかけて建設され、陸軍最後の特攻基地となりました。
この飛行場はわずか4ヶ月しか使われませんでしたが、201名の特攻隊員が沖縄へと出撃されました。

旧隊員であった苗村七郎氏の尽力により、万世特攻平和祈念館、そして昭和47年に「よろずよに」慰霊碑が建立されました。その慰霊碑の碑文をご紹介します。

「 昭和十九年太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、すでに決定的段階を迎えんとしていた。ここ加世田市吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく地元民学徒ら軍民一致の協力によって、本土防衛沖縄決戦の基地萬世飛行場が建設された。
昭和二十年三月二十八日より終戦に至るまで、陸軍特別攻撃隊振武隊の諸隊、飛行第六十六戦隊、飛行第五十五戦隊の若き勇士たちは、祖国護持の礎たらんと、この地より雲表の彼方へと飛び立った、一機また一機と。
征きて帰らざる者あまた。或は空中に散華。或は自爆。壮烈にして悲絶。その殉国の至誠は鬼神もこれに哭するであろう。
終戦以来幾星霜、ここに祖国は、その輝かしき復興をとげた。われら生き残りたる者と心ある人々は、英霊の魂魄を鎮め、その偉勲を称えんがために、ここにこれを建立する。
昭和四十七年五月二十九日 」

子犬を抱いた少年は、荒木幸雄少尉。出撃当時わずか17歳2ヶ月でした。一緒に写っている隊員たちも17歳が2名と18歳でした。自分の将来を祖国日本のために捧げた至純の魂で散華されました。彼らは第72振武隊として、この万世飛行場から出撃、散華されました。

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第40回特攻隊全戦没者慰霊祭 参列

公益財団法人特攻隊戦没者慰霊顕彰会主催で靖國神社にて催行された『第40回特攻隊合同慰霊祭』に参列してまいりました。
柿崎理事長、舞台『帰って来た蛍』や映画『さつまおごじょ』で鳥濱トメ役をつとめる女優の伊藤つかささん、同じく鳥濱礼子役をつとめる女優の竹島由夏さんが参列され、事務局も参列しました。会場では、複数の当会会員も参列していました。

本日は、満開の桜が美しく咲き誇っており、この桜の木の下で逢おうと言って散っていかれた特攻隊の想いに触れた気が致します。

花見の時期ということも重なり、靖國神社は非常に多くの参列者で溢れておりました。

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【神奈川県の中学校で講演】

3月上旬、神奈川県の中学校で生徒約200名に『鳥濱トメと特攻隊』の特別講演を行いました。
生徒や教諭に校舎内にある体育館にお集まりいただき、最初に事務局より鳥濱トメの人物についてと時代背景などを簡単に説明し、続けて赤羽顧問が鳥濱トメから直接聴いた語り部をしました。
途中、ちらほらと涙ぐんでいる様子や、小さくうなずいているような仕草も見られました。
最後に『今日、話を聴いた皆さんに辛いことがあったとき、特攻隊員の気持ちを考えれば自分の悩みはちっぽけなものだと気が付くでしょう。そして、今日の話を聴いて皆さんの心に何か響くものがあったら、自分自身で彼らのことを何でもいいので調べて知って欲しい。そしていつか、知覧に行って、彼らの本物の遺書などに触れて欲しい。』と締めくくりました。

当日、生徒の皆さんに書いていただいたアンケートの中から一部抜粋し、掲載させていただきます。
・当時、自分とあまり(年齢が)変わらない人たちがどんな思いで旅立ったのかを一部理解し、感じる事が出来ました。彼らをずっと見守ってきた人たちの話を聴くと、天国にいる彼らは本当に立派で想像できない強い心を持っていると思いました。
・鳥濱トメさんは、自分のものをなくしてまで、特攻隊の人に色々なものを食べさせてあげていて、とてもやさしい人なんだと思った。特攻隊の人たちは周りの人を守るために自分の命をなくしてまで必死に戦っていたんだなと思い、とても感動しました。

今回の講演を聞いた生徒と年齢は大きく変わらない特攻隊員。しかしその、大きな志と強さ、やさしさは生徒たちに伝わったようでした。
鳥濱トメが戦後、観音堂で多くの若者たちに特攻隊員のことを伝え続けてきたように、当会はその遺志を継いで伝え続けて参りたいと思います。
そして、多くの方々に鳥濱トメという市井の女性が、その人生をかけて尽くしたことを伝え続けていきたいと思います。

事務局

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靖國神社 第72回みたままつり

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7月13日より16日まで、靖國神社において『みたままつり』が開催されました。
本年も『知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会』の大型献灯が3つ、カートエンターテイメント主催で鳥濱トメ顕彰会が共催させていただいている舞台『帰って来た蛍』の提灯も大きく一文字ずつ6灯掲揚されました。出演者の伊藤つかささん、竹島由夏さん、出合正幸さんの大型献灯もその下段に飾られました。
また、当会理事長柿﨑裕治の「揮毫」が書かれた懸け雪洞と、「帰って来た蛍」で鳥濱トメを演じる伊藤つかささんの懸け雪洞も掲揚され、境内に彩りを添えました。
参道には数年振りに露店も50店ほど出店し、若い方々も東京の夏の風物詩を楽しむ多くの人で賑わっていました。

事務局

特攻の母鳥濱トメ・知覧特別攻撃隊 慰霊法要のご案内

【特攻の母鳥濱トメ・知覧特別攻撃隊 慰霊法要のご案内】

謹啓 

陽春のみぎり 益々ご清祥のこととご拝察申し上げます。
さて、先の大戦が終わって本年は七十三年目となり、鳥濱トメが鬼籍に入ってから既に二十六年の歳月が流れました。
生涯をかけて特攻隊員に尽くした鳥濱トメの事績を顕彰し、特攻という悲惨な事実を後世に永く伝えていくために、鳥濱トメの慰霊法要を行うとともに、併せてトメが生涯をかけて弔わせて頂くと誓った知覧特別攻撃隊の慰霊法要を、鳥濱トメの命日に合わせて営みたいと存じます。
知覧に祀られている観音像は、昭和三十年に東京の世田谷山観音寺で開眼供養を執り行い、知覧に運ばれ奉安されたものです。慰霊法要はその開眼供養を行った世田谷山観音寺にて催行いたします。
なお、この度は会場の都合により先着二十五名様迄とさせていただき、今後、当顕彰会の発展と共に、より多くの方にご参列頂けるようにして参ります。
つきましては、ご多忙中誠に恐縮ではございますが ご参列賜りますようご案内申し上げます。
                         
                                   敬白                                   
 
平成三十年三月吉日
          知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会
                理事長  柿﨑裕治
        
      記

日  時   四月二十二日(日)午後二時より

場  所   世田谷山観音寺
         東京都世田谷区下馬四‐九‐四
 
参 加 費 二千円

慰霊法要ののち 同寺院境内にある「世田谷観音本坊(旧小田原代官屋敷)」にて、「鳥濱トメと特攻隊」映像上映会と、講師による講話を行います。
*慰霊祭に参列をご希望される方、並びに本坊で行う上映会・講話に参加ご希望の方は、四月十二日(木)迄に、事務局までメール(info@torihamatome.jp)、
お電話(〇三-五四三一-一七五二)、FAX(〇三-六四五〇-九二五〇)、はがき等でご連絡ください。

事務局

第39回特攻隊全戦没者慰霊祭 参列

皆様こんにちは。

3月31日(土)靖国神社にて、第39回 特攻隊全戦没者慰霊祭が開催され、
弊会理事長、事務局、会員複数名が参列いたしました。

桜の花びらが舞う日、靖国の社殿にて英霊に感謝の誠を捧げて参りました。

慰霊祭の後、特攻勇士の像前にて献花式も行われました。
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主催:特攻隊戦没者慰霊顕彰会HP http://www.tokkotai.or.jp/

知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会 事務局

『帰って来た蛍~天空の誓い~』無事閉幕!

カートエンターテイメント プロデュース 第13弾
『帰って来た蛍~天空の誓い~』
共催 知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会
平成29年10月17日~10月22日 六本木「俳優座劇場」 にて全8公演、無事に閉幕しました。
千穐楽では、内田あかりさんによる主題歌「蒼き空」の歌唱もありました。カーテンコールではエンディング映像「ホタル紀行」のナレーションを務める柳沢三千代さんも御登壇されました。
そして、今回の最大のサプライズとして鳥濱トメの孫である赤羽潤弊会顧問が登壇し、鹿児島県知覧町にある「特攻の母鳥濱トメ資料館富屋食堂」の館長・鳥濱明久氏(弊会顧問)からのお手紙を代読されました。今回、『帰って来た蛍』演出・脚本・製作総指揮であり弊会理事長の柿崎を、同館の永久名誉館長に任命する旨を壇上で発表されました。続けて任命状を手渡されました。
『帰って来た蛍』は平成20年から数えて6度目の再演を終え、今回で通算16,000人を超える皆様に観劇頂きました。また、今回はお足下の悪い日が続く中、劇場においで下さいまして誠に有難う御座いました。
皆様におかれましては、これからも末永くご支援を賜りますよう重ねてお願い申し上げます。
事務局
集合写真(2017.10.22) 任命書

赤羽礼子様御命日

本日、10月16日は鳥濱トメさんの次女、赤羽(旧姓鳥濱)礼子さんの御命日となります。
礼子さんは、昭和20年3月に陸軍知覧飛行場(特攻基地)で「なでしこ隊」として特攻隊の身の回りのお世話をしていました。
「なでしこ隊」は、知覧高等女学校の生徒達で構成された奉仕隊で、校章にちなんで名付けられたそうです。

戦後20余年経って、礼子さんは新宿三丁目に「薩摩おごじょ」という鹿児島郷土料理の店を開店しました。
それは、特攻隊の生還者の方々が集う店として開業されたものでした。お店は、礼子さんのご子息である赤羽潤さんが跡を継がれ、今も多くのお客様で賑わっています。
礼子さんはお店を営む傍ら、特攻隊員のことを語り継ぎ、後世に遺していく「語り部」として活躍されていました。それは、お店に来たお客様へ熱心に話したり、大きな講演会場で講演をされることもありました。
その「語り部」としての役割は、鳥濱トメさん、礼子さんから赤羽潤さんに脈々と受け継がれています。

知覧には、トメさんの長女・美阿子さんのご子息である鳥濱明久さんと赤羽礼子さんが共同で設立した、「ホタル館富屋食堂」という、鳥濱トメと特攻隊の資料館があります。
「ホタル館富屋食堂」は、もともと富屋食堂が建っていた場所に、そっくり建てられました。
特攻隊の方々の様々なエピソードが書かれた展示、遺品、遺書、トメさんとゆかりあるもの等を見る事ができます。
今は、鳥濱明久さんが館長として公開しています。

本日は、赤羽礼子さんの遺された「想い」に触れ、そっとお手を合わせていただけましたらと存じます。

合掌

事務局

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