6月6日は、ホタルとなって帰って来たことで有名な 新潟県出身 第104振武隊 宮川三郎少尉(軍曹から昇任)のご命日です。
宮川少尉は、知覧に近い「万世飛行場」から一度は特攻出撃したものの機体の調子が悪く帰還した経緯があり、生き残ったことを汚名と感じていました。
宮川少尉は、知覧に来てから富屋食堂で奇遇にも同郷の親友である松崎少尉に出会います。その出撃を見送ることになり、特攻の決意を益々強くした宮川少尉にもついに再出撃の命が下ります。出撃前夜は宮川少尉の20歳の誕生日でした。富屋食堂を訪れた宮川少尉に鳥濱トメは心づくしの手料理を振る舞って出撃のはなむけとしました。宮川少尉はトメに「おばちゃん、俺、心残りのことはなんにもないけど、死んだらまた、おばちゃんのところへ帰ってきたい。そうだ、ホタルだ、俺、このホタルになって帰ってくるよ。俺が帰ってきたら、みんなで<同期の桜>を歌ってくれよ。」と言い残して富屋食堂を後にしました。
翌日、万世飛行場からの出撃で共に生き残っていた同僚の滝本伍長と出撃します。視界不良のため滝本伍長が引き返そうと合図を送るなか、宮川少尉は「お前だけ帰れ」と言ってそのまま飛んで行ったそうです。
その夜、宮川少尉が告げた時間通りに富屋食堂に一匹の大きな蛍が入ってきました。トメの娘たちが「お母さーん、宮川さんよ、宮川さんが帰ってきたわよ!」叫び声をあげ、気がつくと店にいた兵隊たち、滝本伍長、そしてトメと娘たちは「同期の桜」を歌い始めていました。
鳥濱トメが89歳で大往生された通夜の夜、富屋食堂で横たわっているトメの部屋を1匹のホタルがスーッと横切ったそうです。4月下旬の季節外れのホタルは宮川少尉がトメを迎えに来られたのかも知れません。
ホタルとなって帰って来た実話に人の魂が悠久の中で生き続けているように思えます。少なくともこの実話を語り継いでいくことで悠久の時を超えていくことができます。より良い世界を紡ぐためにも語り継いで行きましょう。
なお、滝本伍長は、戦後復員して宮川少尉の実家を訪ねてありし日の姿をお伝えし、3年後に自らの命を絶たれたそうです。生き残られた方々もその後大変なご苦労をされて現在の日本があることを忘れてはなりません。
ホタルとなって帰って来た際の詳細は赤羽顧問の記事をご覧下さい。
https://x.com/tiran_tokkotai/status/1902101560156680603