知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

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ニュース

光山文博(卓 庚鉉)少尉 御命日

鳥濱トメと特攻隊
光山文博(卓 庚鉉)少尉
昭和18年、光山少尉は京都薬学専門学校(現・京都薬科大)から学徒出陣し、太刀洗陸軍飛行学校知覧分教所時代の知覧飛行場に入校。
特別操縦見習士官第一期生として、教育隊で操縦教育を受けていました。
そのころから、すでに陸軍指定食堂となっていた富屋食堂に頻繁に訪れて鳥濱家の面々と交流を図っていました。そのころから彼は、「自分は朝鮮人です」と口にしていたそうです。
そんな光山少尉を、トメさんは何かと気にかけ面倒を見ながら、一緒に食事したりまるで自分の息子のように可愛がっていたそうです。そんな中、彼は異動していきました。
昭和20年になって、光山少尉は第五十一振武隊として知覧に戻ってきました。この時期に戻って来た、ということは特攻隊員になったんだ、とトメさんも気が付きます。残り少ない時間を大切に過ごしていきます。
そして、出撃前夜の5月10日の夜、食堂に一人で来ていた光山少尉をトメさんは自分たち家族の部屋に呼びました。長女の美阿子さんと次女の礼子さんと4人で過ごしていました。光山少尉は、いつもは軍歌などを戦友らと歌ったりしませんが 「今夜は最後だから、故郷の歌を歌うよ。おばちゃん。」と言い、歌い始めたそうです。光山少尉は帽子深くかぶって顔を隠したが、肩がふるえているのを鳥濱家の皆は気が付いていました。
トメさんや娘たちもたまらなくなって泣きながら一緒に「アリラン」を歌いました。光山少尉は歌い終わると、朝鮮の布地で織った黄色い縞の入った財布に、筆で「贈 為鳥浜とめ殿 光山少尉」と書いて渡しました。
「おばさん、今日まで大変お世話になりました。お世話になった御礼と言ってもこんなものしかありませんが、形見と思い、受け取ってください。」と言いました。
光山少尉はその1年前に母親を失い、戦況の悪化した3月には歳老いた父親と妹も朝鮮に送り返していました。
昭和20年5月11日、光山少尉は、遺書も書かずに出撃されました。
事務局

「第70回知覧特攻基地戦没者慰霊祭」参列

5月3日、鹿児島県南九州市知覧町 知覧特攻平和観音堂において「第70回知覧特攻基地戦没者慰霊祭」が挙行され、鳥濱トメ顕彰会理事長、赤羽潤顧問と6月29日より上演されるカートエンターテイメントプロデュース舞台『帰って来た蛍〜永遠の言ノ葉〜』の出演者、関係者総勢20名で参列してまいりました。
当会理事長である柿崎裕治が、脚本•演出•プロデュースを務める鳥濱トメと特攻隊の真実の舞台です。
 慰霊祭会場には800名を超える参列者が訪れ、昨年より参列者が多くなりました。
 慰霊祭の受付では式次第のほかに、名産である知覧茶葉の新茶、知覧町の観光マップ、特攻平和会館のクリアファイルなどをいただきました。
 慰霊祭は開式のことばから始まり、日本礼道小笠原流鹿児島支部の方々の「献茶」、参列者一同「礼」、「黙祷」と進められていきます。
本年は、1月1日に起きた能登地震の被災者への黙祷も合わせて行われました。
 黙祷の後、流れる読経の中で各関係者らの焼香、追悼の言葉、慰霊の言葉を市議会議長、県議会議員、ご遺族ならびに関係者が述べられました。
 その後、(社)詩吟朗詠錦城会による献詠、慰霊電報披露、参列者全員による献花、自衛隊による「海ゆかば」献奏、南九州市長挨拶ののち、参列者全員で「加藤隼戦闘隊」「同期の桜」を合唱し閉式となりました。
 ぜひ、一人でも多くの方に知って頂きたい事実があります。
大東亜戦争末期、悪化した戦局を打開するために用いられた作戦に若者たちが命を懸けて、家族、恋人、故郷を守るために、250キロ爆弾を抱いて「特攻」しました。
そして、その若者たちを心からもてなし、心を痛めながら出撃を見送り、戦後は慰霊顕彰のために奔走しその人生の全てを捧げた鳥濱トメとその家族の存在があったこと、、、。
 皆様も、ご家族、ご友人、知人の方々に伝えて頂けましたら幸いです。
事務局
     

【鳥濱トメ御命日】

 平成4年4月22日、鳥濱トメは特攻隊員たちの待つ場所へと旅立ちました。
多くの特攻隊員たちから「おばちゃん、俺の残りの人生あげるから長生きしてな」と、隊員たちの半生を託されたトメは、89歳の大往生でありました。
 鳥濱トメは、昭和4年から鹿児島県川辺郡知覧町(現:南九州市知覧町)で「富屋食堂」の女将をしておりました。大東亜戦争が開戦した翌年、「富屋食堂」は陸軍指定食堂となりましたが、それはちょうどトメが40歳のときでした。
 戦争末期になると知覧飛行場は陸軍特別攻撃隊の出撃基地となり、全国各地から若い特攻隊員たちが集めれ、出撃していきました。知覧から出撃した陸軍特攻隊員は436名におよび、その特攻隊員の方々の出撃までの最期のわずかなひと時をトメは深い愛情で包み込み、彼らから”お母さん”と慕われるようになっていました。
 そうしてトメはいつのまにか「特攻の母」だとか「特攻おばさん」などと呼ばれるようになっていました。しかし誤解のないように伝えたいことは、決して特攻作戦を賛美していたのでそう呼ばれたのではなく、若い特攻隊員たちの面倒をとにかくよく見たから、という理由であることです。
 戦争中は「軍神」などと世間から崇められた特攻隊でしたが、敗戦後、少なくはない国民から、手のひらを返され「軍国主義の象徴」などと蔑まれ、特攻出撃から生き残った方々でさえ「特攻崩れ」と罵倒されました。
 戦後すぐにトメは飛行場跡地に棒杭を立てて特攻隊員の墓標代わりとし、欠かさず毎日参拝を続けていました。トメは、ただひたすらに、たとえ世間が何と言おうともその信念を曲げることなく「特攻隊のあの子たちの為に観音堂を建てなくてはならない。お国のために散らしたあの子らの命は、お国が弔わなければならないんだよ。」と言い続け、観音堂建立のために奔走しました。
 その願いが叶い、飛行場跡地に観音堂が建立されたのは敗戦から10年後の昭和30年秋のことでした。
 観音堂が建立され、最初の慰霊祭が開催されたのちも観音堂に参拝に来る人たちは稀で、トメだけがお参りしているのが日常でした。
 それでもトメは近所の子供達を観音堂へ連れて行き、掃除をさせてから手を合わせ、特攻隊員のことを語りながら果物やおやつなどを食べさせました。子供たちだけでなく、ご遺族以外の人も観音堂に慣れ親しみ、参拝することが「当たり前」になっていくように長い時間をかけて尽くしたのです。
それが「特攻隊慰霊顕彰の町 知覧」の礎となり、現在へと続いています。
 昭和30年に建立された観音堂も現在は三代目となり、今も大切に守られております。毎年5月3日には、「知覧基地特攻戦没者慰霊祭」が観音堂の御宝前で催行され、500名以上の参拝者が訪れます。
 当会は鳥濱トメが遺した、特攻隊員への慰霊顕彰の気持ちを受け継ぎ、鳥濱トメの偉業を一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。
 当会も昨年、設立10周年を迎えました。これもひとえにご支援ご協力いただいている皆様のおかげです。
 鳥濱トメの御命日に際し、お時間がございましたら皆様にもお手を合わせていただけましたら幸甚です。
合掌
  

『第45回特攻隊全戦没者慰霊祭』参列

3月23日(土)に公益財団法人特攻隊戦没者慰霊顕彰会主催により靖國神社にて執り行われた慰霊祭に参列してまいりました。
当会理事長柿﨑裕治は来賓としてお招きいただきました。
現役自衛官の方々のお姿も見えました。
慰霊祭の後に、遊就館前の特攻勇士の像の前で献花が行われ滞りなく終了いたしました。
毎回感じるのは、年々参列者は減少の一途ということです。
しかし、先の大戦末期、特攻隊として散華された隊員の尊い利他の精神は、日本人の心として末永く語り継いでいかなければならないと思います。
そして、我々はその特攻隊員の最期を見送り続けた鳥濱トメのことを忘れないために活動を続けてまいります。
当日は小雨降る靖國神社、桜の開花はもう少し先となりましたが、毎年咲き続ける桜の下で特攻隊員は語り合っていることでしょう。
事務局

【鳥濱トメ長女、鳥濱美阿子 御命日】

本日、2月4日は鳥濱トメの長女である、鳥濱美阿子の御命日となります。
美阿子は戦時中、知覧高等女学校の女学生である妹の礼子とともに、「富屋食堂」に通う特攻隊員の方々に親身になって接しました。
母である鳥濱トメをよく助け、母にとっても、妹の礼子にとっても心の支えであったことは間違いありませんでした。
戦後、特攻隊員のご遺族のために富屋旅館を開業してからも、トメが気兼ねなく思うままに行動できるようにと一生懸命に尽くされ、本当に
命がけで働いておられました。
昭和55年2月4日、五十代前半という若さで鬼籍に入られました。
本日は鳥濱美阿子に想いを馳せて、お手を合わせていただけましたらと存じます。
(写真は昭和19年5月31日、柳谷教官とともに。右端が美阿子、中央がトメ、左下が礼子)
合掌

謹賀新年 令和6年 

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠に有難う御座いました。
本年は、より多くの皆様に鳥濱トメと特攻隊の真実を伝え継いで参ります。新しい試みも始める予定でございます。
そのためには、皆様のご協力とご支援が必要です。
何卒、本年も変わらぬご支援・ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。
皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。
※本日夕方に発生いたしました能登半島地震にて被災された方々のご無事を祈念するとともに、続く余震による二次災害等に遭われませぬよう充分ご注意いただきますよう、お願い申し上げます。
令和六年 元旦
事務局
1人、テキストの画像のようです

【年末のご挨拶】

本年、当会は設立から10周年を迎えることができました。これもひとえに、ご支援、ご協力くださっている皆様のお蔭様であると存じます。改めまして心より御礼申し上げます。
長引くウクライナとロシアの戦争、パレスチナとイスラエルの戦闘激化などで、多くの日本人が戦争に関心を抱き、先の大戦について取り上げられた映画やコミックスなども多くの反響を呼びました。決して、遠い昔のことなどではないのだと改めて考えられた方も多いのではないでしょうか。
また、長らく続いた新型コロナウイルス感染症も2類から5類へと移行となり、様々な行事等が少しずつコロナ禍以前のように開催するようになってまいりました。
5月には知覧の特攻観音堂前で開催される「知覧特攻基地戦没者慰霊祭」に4年ぶりに参列することが叶い、靖國神社みたままつりや世田谷観音特攻平和観音年次法要などにも参列することができました。
来年6~7月には、カートエンターテイメントと当会の共催舞台『帰って来た蛍』の上演が決定しております。
本舞台を通じて、より多くの皆様に鳥濱トメと特攻隊のことを知っていただきたいと存じます。
当会は鳥濱トメの遺した想いを受け継ぎ、これからもその偉業を一人でも多くの方に伝えて参りたいと思いますので、何卒よろしくお願い申し上げます。
本年も、ご支援いただきまして誠にありがとうございました。
皆様のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。
どうぞ良い年をお迎えくださいませ。
事務局

【第72回特攻平和観音年次法要 参列】

 9月23日(土・祝)秋分の日に、東京都世田谷区下馬にある世田谷山観音寺において『第72回特攻平和観音年次法要』が催行されました。
長引いたコロナ禍の影響から4年ぶりに一般参列者が参列可能な法要となりました。
 柿﨑理事長は来賓としてお招きいただきました。当会が共催させていただいているカートエンターテイメントプロデュース舞台「帰って来た蛍」で鳥濱トメ役の伊藤つかささん、鳥濱礼子役の竹島由夏さん、同作出演の島村明日果さんならびに当会会員複数名、事務局も参列させて頂きました。
また、皆様からの年会費や寄附金から当会も供花を出させていただきました。カートエンターテイメントも、『帰って来た蛍出演者・製作一同』の名義で供花をされています。
 特攻平和観音年次法要は今ではあまり見かけることのない「神仏習合」で執り行われており、世田谷山観音寺太田恵淳住職の願文奏上と駒繋神社澤田浩治宮司による神儀が執り行われました。
 参加者全員で「同期の桜」「海ゆかば」を慰霊献歌、焼香をして特攻隊員の御霊の安らかなることをお祈りいたしました。また、甲飛喇叭(ラッパ)隊による奉納献奏も行われ、参列者の注目を浴びておられました。
 当会では、主催の慰霊法要(慰霊祭)以外にも、他団体が主催する特攻隊の慰霊祭等も参列しております。
 鳥濱トメの偉業を後世に遺していくことは当然の責務ですが、特攻という事実を伝え、先の大戦を風化させないよう努力し先人のご英霊への慰霊顕彰もしっかり行なって参りたいと存じます。皆様、ご支援ご協力の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
事務局
    

靖國神社「みたままつり」

靖國神社 において「みたままつり」7月13日より 16日まで開催されました。
当会の提灯3灯と、理事長で映画監督の 柿崎裕治 の提灯ならびに揮毫が境内に掲揚されており、『 帰って来た蛍』もございます。
また、舞台『帰って来た蛍』や映画『さつまおごじょ』で鳥濱トメ役の伊藤つかささん、同作で鳥濱(赤羽)礼子役の竹島由夏さん、『帰って来た蛍』初演で宮川三郎少尉を演じた出合正幸さん、『帰って来た蛍』でなでしこ隊役や鳥濱美阿子役でも出演された島村明日果さん、『帰って来た蛍』や『さつまおごじょ』にも出演された榎木薗郁也さんの提灯もあります。
当会顧問でトメの孫、薩摩おごじょ新宿店店主 赤羽潤 さん、同じく顧問でトメのひ孫、ホタル館富屋食堂の館長 鳥濱拳大 さんの提灯も掲揚されました。
境内には、柿崎監督のほかにも伊藤つかささん、竹島由夏さんの揮毫も掲揚され九段の夜を彩りました。
事務局
     

【鳥濱トメ孫、鳥濱明久 御命日】

本日、7月5日は鳥濱トメの長女・鳥濱美阿子の子息、鳥濱明久の御命日となります。
鳥濱明久は幼少の頃より祖母であるトメとともに観音堂に通い、トメから特攻隊の語り部を聴き続けて育ちました。
足腰の悪くなったトメの晩年も、観音堂への参拝に毎日付き添い、母の美阿子のサポートもしながら本当によく尽くされておられました。
ホタル館富屋食堂館長、知覧茶屋の店主としても長い間勤め上げてこられ、当会が設立当初の平成25年から赤羽顧問とともに顧問を勤められておられました。
日本全国の小中学生から青年会議所、企業研修などありとあらゆる方々、約80万人超に向けて「鳥濱トメと特攻隊」の真実を伝え継いでおられました。
しかしまだ六十歳という若さで鬼籍に入られました。
我々は鳥濱トメの想いを後世に繋いだ鳥濱明久の功績を讃えながら、その想いも大切にしたいと存じます。
本日は鳥濱明久に想いを馳せて、お手を合わせていただきましたらと存じます。
合掌