知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

〒154-0001 東京都世田谷区池尻2-37-2-202

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ニュース

【鳥濱トメ次女、赤羽礼子御命日】

本日、10月16日は鳥濱トメの次女、赤羽(旧姓鳥濱)礼子さんの御命日となります。
  礼子さんは戦時中、永崎笙子さんらとともに知覧高等女学校の女学生でありながら、特攻隊員の身の回りのお世話をされた「なでしこ隊」のお一人でした。
 モノクロの写真は、なでしこ隊の皆さんが昭和20年4月12日に知覧飛行場から特攻隊として出撃する穴澤利夫大尉(特攻戦死後二階級特進)を見送る様子を撮影したもので、1965年発行の「毎日グラフ」別冊に掲載されました。
 戦後20有余年経って、礼子さんが東京に開店した「薩摩おごじょ 新宿店」は、特攻出撃から生還された方々や戦友、ご遺族らの集う場所として大変賑わいました。
 生前、礼子さんは「薩摩おごじょ」を営む傍ら、週末ごとに知覧に帰り特攻隊員の出撃を見送った戦争中の語り部するというハードな生活を長年されておられました。
礼子さんがお亡くなりになられてからは、ご子息の赤羽潤氏(当会顧問)が二代目としてお店を受け継ぎ、奥様と共に切り盛りされ、慰霊活動や語り部として講演会を実施するなど全国を飛び回り、精力的にご活躍されておられます。
 親子三代にわたり受け継がれる感動の物語は、カートエンターテイメント制作映画「さつまおごじょ」(オムニバス長編映画『大河巡る~生まれ変わっても忘れない~』に収録)で観ることができます。
礼子さんは講演会で「もし皆さんにつらいことがあっても、特攻隊として散って往かれたあの方たちに比べれば、それほどつらいということは無いと思います。私たちには”明日”が来るのですから。ですから皆さんもつらいことがありましたら、飛んで行かれたあの方たちのことを思い出して頑張っていただきたい。そして、知覧にもぜひ足を運んでほしいと願っています」とおっしゃられました。私たちはこの言葉を大切にしてまいりたいと思います。
本日は礼子さんの「想い」に触れ、お手を合わせていただけましたらと存じます。
合掌

舞台「帰って来た蛍」についてお知らせとお詫び

【舞台「帰って来た蛍」についてお知らせとお詫び】

この度、カートエンターテイメントと共催で上演予定でございました、舞台「帰って来た蛍」は、苦渋の決断ではありますが、10月の公演を断念し延期の運びとなりました。
本公演を楽しみにしてくださっておられた皆様、ご支援、ご協力を賜りました皆様方には、この場をお借りしてお詫び申し上げます。
是非、次回公演の際にはご支援の程宜しくお願い申し上げます。

なお、カートエンターテイメント公式ホームページに掲載されました、「お知らせとお詫び」を転載させていただきますので宜しくお願い申し上げます。

事務局

 

お知らせとお詫び

【速報!グループ「ホタル館『富屋食堂』を守る会」立ち上げのお知らせ】

鳥濱トメのお孫さんで当会顧問の鳥濱明久さんが館長を務める『ホタル館 富屋食堂』は、この度の新型コロナウイルス感染症の影響による2か月に及ぶ休業で、経営が危ぶまれています。
7月3日に『ホタル館富屋食堂』を支援するクラウドファンディングが開始されました。
鳥濱トメ顕彰会といたしましても、鳥濱トメの想い、そして特攻隊員の資料館を守るお手伝いをしてまいりたいと思います!
もうすでにわずか3日間で300名を超える支援者より、目標額を超えたご支援を賜っているようですが、長引くコロナ禍に打ち勝ち、今後も末永く続けていけるように応援していきたいと思います!

皆様、一人でも多くの方にこのことをお伝えください!
https://camp-fire.jp/projects/view/284979

 

事務局ホタル館 富屋食堂o

【「薩摩おごじょ新宿店」クラウドファンディング終了】

鳥濱トメの孫でありトメの次女・礼子のご子息である赤羽潤氏(当会顧問)が経営する薩摩おごじょ新宿店が、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、経営に大きな打撃を受け存続危機を迎えていました。そこで、5月16日から薩摩おごじょではクラウドファンディングを開始されました。当会でも、微力ながら応援させていただきました。
開始初日に目標額を達成し、その後も終了まで多くの皆様のご支援、ご声援を頂戴したことは店主赤羽顧問も大変励みになったようです。
ご支援ご協力を賜りました皆様、誠に有難う御座いました。

*クラウドファンディング終了後の赤羽顧問の投稿を下記に転載させていただきます。

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・クラウドファンディング終了しました・

5月16日より募集を開始しました『薩摩おごじょ新宿店』のクラウドファンディングが本日、無事に終了致しました。

お陰様で目標金額を大幅に上回る程の皆様からのたくさんのご支援・ご寄付と温かいメッセージをいただく事ができました。
本当に有難う御座います。

そしてご支援いただきました皆様のリターンのお食事券につきましては8月からの郵送でお手元に届く予定でおります。

今回、この新型コロナウイルスにより、お店が2ヶ月間営業自粛となり、収入が全く無くなり自身の中でひとりで悩む日々が続きました。
何が何でも母、礼子が残したこのお店を受け継ぎ、同じ志を持った皆が集まれる場所を存続させる為に、悩みに悩んだ結果のクラウドファンディングという決断でした。
いざ、クラウドファンディングが始まり初日で目標金額を達成し、その後も告知をしてくださった方々がたくさんおり計295名のお力添えをいただきました。
また、たくさんの心温まる応援メッセージも妻と二人で読み涙が止まりませんでした。ずっとひとりで悩んでいましたが、こんなにもたくさんの方々が私や薩摩おごじょを気にかけ、応援して下さっているんだ!!ということに改めて気付きました。
緊急事態宣言が解除されようやくお店を再開するに至りましたが、まだまだお店にはお客様が戻らない日々が続き、お客様の来店が無い日もありますが、皆さんのメッセージ読み、襟を正し頑張る力に変えています!!

皆様からいただいたご支援を無駄にすること無く、この薩摩おごじょを存続し皆さんが集まれる場所を守って参ります。

本当に感謝と共に有難う御座いました。
皆さんと笑顔でお会いできる日を心より楽しみにしております

薩摩おごじょ新宿店
店主 赤羽 潤より

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【「薩摩おごじょを守る会」からのお知らせ】

【「薩摩おごじょを守る会」からのお知らせ】

5月16日に「薩摩おごじょを守る会」を立ち上げ、店主である赤羽当会顧問がスタートさせたクラウドファンディングを応援して参りました。ご支援いただいた皆様のお陰様で、スタート初日に目標額の達成を成し遂げ、その後も多くのご支援やご声援を賜り現在256万円超のご支援額を達成しております。
東京都の自粛要請も段階的に緩和され、緊急事態宣言の解除に合わせて薩摩おごじょも5月26日に営業を再開、さらに先週金曜日には東京アラートの解除とステップ3へ移行されました。やっと深夜0時までの従来の時間で営業が再開できるようになりました。
しかしながら、緊急事態宣言が解除になっても以前のようなご来店人数にはほど遠く、客足は遠のいたまま、来店者数が0(無し)という日が何度もあるようです。
せっかく皆様に支えていただいて、なんとかお店を再開することは出来ましたが、新型コロナウイルス感染の第2波を危惧する声や、その警戒心から未だご来店をお控えられている方のほうがまだ多いかと存じます。今のまま、お店を開けているのにマイナスになってしまう状況が続けば、せっかく支えてくださった皆様の想いに応えられない結果にもなりかねません。そのようなことが無いようにと、店舗では感染防止対策もしっかりと整え、皆様のご来店をお待ちしておられます。

こちらのクラウドファンディングは今月26日まで、残すところ2週間となりましたが、ぜひよろしければ今一度、知人様やご友人様にもお声がけいただき、ご支援を賜りましたら幸いで御座います。

何卒よろしくお願い申し上げます。

https://camp-fire.jp/projects/280449/activities/144184#main

 

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【鳥濱トメと特攻隊 ー『帰って来た蛍』で描かれる隊員-】

【鳥濱トメと特攻隊ー『帰って来た蛍』で描かれる隊員-】
本日は、当会が共催しているカートエンターテイメント舞台『帰って来た蛍』で描かれている、蛍になって帰って来た
宮川三郎少尉のお話をご紹介いたします。

宮川 三郎少尉  享年二十
昭和元年六月五日生 新潟県小千谷市出身
昭和二十年六月六日 陸軍特別攻撃隊第一〇四振武隊
戦死後 二階級特進 少尉任官

当会で共催させていただいている、舞台『帰って来た蛍』や、数々の映画や文庫本などで伝えられてきた宮川三郎少尉のお話をご紹介します。
(赤羽礼子 石井宏 著書「ホタル帰る」より抜粋、加筆修正)

 大東亜戦争末期、敗戦の色濃くなった日本軍が取った「と号作戦」いわゆる「特攻」。10代~20代の若い隊員たちが航空機に250キロ爆弾を抱え、連合国の艦船に突入する百死零生の攻撃方法です。宮川少尉も特攻隊員でした。

宮川三郎少尉は昭和二十年五月半ば、特攻基地のある「知覧」の富屋食堂に姿を現しました。生まれは雪国「新潟」の小千谷、色白でハンサムな男性でした。
知覧に近い「万世飛行場」から、一度は特攻出撃したものの、機体の調子が悪く帰還した経緯がありました。そのせいで、生き残りの烙印を押され不忠の汚名を着せられました。
そんな宮川少尉といつも連れ立っていたのは滝本伍長でした。彼もまた、同じく万世から出撃し帰還した一人でした・・・。

宮川少尉は、富屋食堂で奇跡とも言える再会を果たします。その相手は「第五十振武隊」の松崎義勝伍長です。
松崎伍長は、宮川の故郷、新潟県小千谷高等小学校在籍当時の良きライバルでした。2年間ではありますが、机を並べた仲でした。卒業後、それぞれの道に進んでいたので、まさに「奇跡」と呼べる再会でしたが、そのわずか二日後、松崎伍長は出撃し還らぬ人となりました。

そしていよいよ、宮川少尉にも出撃の命が下ります。

運命の出撃は六月六日。その前日は宮川少尉にとって満二十歳の誕生日でもあったのです。
鳥濱トメは出撃前夜、富屋食堂で心づくしの手料理を振る舞い、宮川少尉の誕生祝いと出撃のはなむけとしました。
トメの愛娘である礼子や、知覧高等女学校の生徒たちは「なでしこ隊」として、宮川少尉ら特攻隊員の身の周りの世話をしており、出撃前日には血染めの日の丸の鉢巻きを作って手渡していました。宮川少尉はお礼に、当時としては高価だった、兄からもらった万年筆を「俺だと思ってくれ」と礼子に渡しました。

出撃前夜は空襲警報が鳴り響き、宮川少尉と滝本伍長、そしてトメと愛娘のふたりは防空壕へ2~3回入りました。防空壕を出た5人が外を飛び交う蛍に見入ったちょうどその時、宮川少尉は、ある約束をします。
「おばちゃん、俺、心残りのことはなんにもないけど、死んだらまた、おばちゃんのところへ帰ってきたい。なぁ、滝本。」滝本もうなずきました。
「そうだ、蛍だ、俺、この蛍になって帰ってくるよ。」
トメは「ああ、どうぞ帰っていらっしゃい。」
宮川少尉は腕時計を見ながら「九時だ。じゃ、明日の晩の今頃に帰って来る事にするよ。俺たちが入れるように、店の正面の引き戸を少し開けておいてくれよ」
トメは「わかった。そうしておくよ。」と答えます。
宮川少尉はさらに続けて、こう言ったのです。
「俺が帰ってきたら、みんなで<同期の桜>を歌ってくれよ」
トメは涙をこらえながら伝えました。
「わかった、歌うからね・・・。」

出撃の朝は雨が降りしきっていました。

その日の夕刻、トメが店を片付けていると出撃したはずの滝本伍長が入ってきました。宮川少尉と滝本伍長の二人は、出撃したものの雨で視界が悪かったため、沖縄までたどり着くことができるかどうか怪しいほどでした。滝本伍長は二度、三度となく宮川少尉に引き返すよう促しますが、宮川少尉は「おまえは帰れ、俺はいく」という身振りで、一向に戻ろうとせず、ついに、滝本伍長はひとりで知覧に引き返してきました。
夜になってラジオが9時を告げ、ニュースが始まってすぐのことでした。わずかに開いた表戸の隙間から一匹の大きな蛍が入ってきたのです。
二人の娘たちは、ほぼ同時にその光景に気がつき叫び声をあげました。
「お母さーん、宮川さんよ、宮川さんが帰ってきたわよ!」
トメは息を呑みました。
そこには、紛れもなく帰ってきた「宮川少尉」がいたのです。気がつくと、店にいた兵隊たち、滝本伍長、そしてトメと娘たちは「同期の桜」を歌い始めていました。

貴様とおれとは
同期の桜
おなじ航空隊の
庭に咲く
咲いた花なら
散るのは覚悟
みごと散りましょ
国のため

貴様とおれとは
同期の桜
離れ離れに
散らうとも
花の都の
靖国神社
春の小枝で
咲いて逢ふよ

宮川少尉はトメたちとの「約束」を果たしました。そして、現代を生きる私たちに日本の未来を託し、今も蛍となって見守ってくれていると思います。

新型コロナウイルスで大変な情勢となっていますが、日本の為に出撃された隊員に想いを馳せ、何とかこの国難を乗り越えられるよう頑張りたいですね。

今日は、宮川三郎少尉の御命日です。

合掌

miyagawa

【薩摩おごじょのクラウドファンディング目標達成】

【薩摩おごじょのクラウドファンディング目標達成】

もうすでにご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、鳥濱トメの孫で当会の顧問赤羽潤氏が店主を務める『薩摩おごじょ』が、5/16に始められたクラウドファンディングは公開当日に目標額を達成いたしました。鳥濱トメ顕彰会としてもご支援くださいました皆様に厚く御礼申し上げます。
また、今日でクラウドファンディング開始より1週間となりましたが、結果として目標額を大幅に超えたご支援を賜りました。重ねて御礼申し上げます。
25日には緊急事態宣言の解除等も言われておりますが、新型コロナウイルスが消滅するわけではありませんので、実際には今後とも飲食業界を含めて厳しい状況であることに変わりないと思います。

引き続き皆様におかれましては、変わらないご支援の程、宜しくお願い申し上げます。当会といたしましても、薩摩おごじょ、そして鳥濱トメさんの想いが末永く受け継がれていくよう、少しでも力になれるよう支えて参りたいと思います。

どうぞ皆様、今後とも宜しくお願い申し上げます。

*該当ページのほうに、赤羽顧問からの御礼の言葉ならびに公開に合わせて撮影された動画が追加で公開されております。

https://camp-fire.jp/projects/view/280449

【お知らせ】「ホタル館富屋食堂」臨時休業中~5/31

【「ホタル館富屋食堂」臨時休業中*期間延長されています】

鹿児島県知覧にある、鳥濱トメの孫で当会の鳥濱明久顧問が館長を務める、鳥濱トメと特攻隊の資料館「ホタル館富屋食堂」は、4/13~5/31まで新型コロナウイルス感染拡大防止の影響で臨時休業となっています。
また、知覧特攻平和会館 も4/13~5/31まで臨時休業です。

収束したら必ず訪れたい町、知覧。

英霊のご加護のもと、この日本に平穏な日々が一日も早く戻ってくるように、みんなで頑張りましょう。

#コロナに負けるな

 

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当会Facebookにてグループ「薩摩おごじょを守る会」立ち上げのお知らせ

【速報!当会Facebookにてグループ「薩摩おごじょを守る会」立ち上げのお知らせ】

鳥濱トメのお孫さんで当会顧問の赤羽潤さんが店主を務める「薩摩おごじょ 新宿店」は、この度の新型コロナウイルスの影響により営業を自粛しておられますが、2か月に及ぶ休業で経営が危ぶまれています。
本日「薩摩おごじょ新宿店」を支援するクラウドファンディングが開始されました。
鳥濱トメ顕彰会といたしましても、鳥濱トメの味と想い、そしてなでしこ隊であった母・礼子さんの味と想いを受け継いだ、このお店を守りたいと思います!
ぜひ、復活されるように応援していきたいと思います!

皆様、一人でも多くの方にこのことをお伝えください!
https://camp-fire.jp/projects/view/280449

そして、当会のFacebookページにおいても、「薩摩おごじょ」を守る会というグループを急遽立ちあげました!
ぜひ、皆さんも支援の輪をどんどん広げてください!

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

事務局

鳥濱トメ御命日

平成4年4月22日
特攻の母と呼ばれた鳥濱トメは鬼籍へと入りました。
本日は御命日となります。

大東亜戦争中、鹿児島の知覧町(現南九州市知覧町)の陸軍指定食堂となった「富屋食堂」の女将、鳥濱トメ。
戦争末期には知覧の特攻基地から出撃した436名の特攻隊員の面倒を見た事で知られています。いつの日かトメは、「特攻の母」「特攻おばさん」などと呼ばれるようになっていました。
特攻隊員は、全国から知覧へ集められました。その出撃前の最後のひと時を深い愛情で包み、彼ら全員の”お母さん”となったのです。
戦争中は「軍神」などと世間から崇められた特攻隊でしたが、敗戦後すぐに手のひらを返したように「軍国主義の象徴」などと蔑み、生き残った方々でさえ「特攻崩れ」と言われ罵倒されました。
そんな中、世間が何と言おうともブレずにただひたすらに「特攻隊のあの子たちの為に観音堂を建てなくてはならない。お国のために散らしたあん子らの命は、お国が弔わなければならない。」と言い続け奔走し、飛行場跡地に棒杭を立ててお墓の代わりとして欠かさずに毎日毎日お参りを続けていました。
その願いが叶い、知覧の飛行場跡地に観音堂が建立されたのは昭和30年秋のことでした。それからもトメは、晩年に足腰が悪くなり観音堂へ通えなくなってしまうその日まで、欠かさずお参りを続けました。そのたびに、近所の子供達を観音堂へ連れて行き掃除をさせ、特攻隊員のことを語りながら、おやつや果物などを食べさせて、観音堂に慣れ親しむよう、そして参拝が「当たり前」になっていくように長い時間をかけて尽力しました。

それが「特攻隊慰霊顕彰の町 知覧」の礎となり、現在へと続いているのです。

知覧の観音堂の御宝前で5月3日には毎年盛大な「知覧基地特攻戦没者慰霊祭」が催行されています。*本年は残念ながら新型コロナウイルスの影響により中止となりました。

鳥濱トメが遺した、特攻隊員への慰霊顕彰の気持ちを受け継ぎ、鳥濱トメの偉業を一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。
お時間がございましたら、皆様にもどこかで黙とうをお願いできましたらと思います。

事務局

【皆様へのお願い】
*顕彰会ホームページおよびフェイスブック、Twitterページの画像・音声・動画の二次使用、転載を禁止させていただきます。
(記事まるごとのシェアはぜひお願い致します。そこからの画像等の二次使用はご遠慮ください。)

tokkohei

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