知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

〒154-0001 東京都世田谷区池尻2-37-2-202

お問合せはこちら 03-5431-1752

ニュース

当会Facebookにてグループ「薩摩おごじょを守る会」立ち上げのお知らせ

【速報!当会Facebookにてグループ「薩摩おごじょを守る会」立ち上げのお知らせ】

鳥濱トメのお孫さんで当会顧問の赤羽潤さんが店主を務める「薩摩おごじょ 新宿店」は、この度の新型コロナウイルスの影響により営業を自粛しておられますが、2か月に及ぶ休業で経営が危ぶまれています。
本日「薩摩おごじょ新宿店」を支援するクラウドファンディングが開始されました。
鳥濱トメ顕彰会といたしましても、鳥濱トメの味と想い、そしてなでしこ隊であった母・礼子さんの味と想いを受け継いだ、このお店を守りたいと思います!
ぜひ、復活されるように応援していきたいと思います!

皆様、一人でも多くの方にこのことをお伝えください!
https://camp-fire.jp/projects/view/280449

そして、当会のFacebookページにおいても、「薩摩おごじょ」を守る会というグループを急遽立ちあげました!
ぜひ、皆さんも支援の輪をどんどん広げてください!

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

事務局

鳥濱トメ御命日

平成4年4月22日
特攻の母と呼ばれた鳥濱トメは鬼籍へと入りました。
本日は御命日となります。

大東亜戦争中、鹿児島の知覧町(現南九州市知覧町)の陸軍指定食堂となった「富屋食堂」の女将、鳥濱トメ。
戦争末期には知覧の特攻基地から出撃した436名の特攻隊員の面倒を見た事で知られています。いつの日かトメは、「特攻の母」「特攻おばさん」などと呼ばれるようになっていました。
特攻隊員は、全国から知覧へ集められました。その出撃前の最後のひと時を深い愛情で包み、彼ら全員の”お母さん”となったのです。
戦争中は「軍神」などと世間から崇められた特攻隊でしたが、敗戦後すぐに手のひらを返したように「軍国主義の象徴」などと蔑み、生き残った方々でさえ「特攻崩れ」と言われ罵倒されました。
そんな中、世間が何と言おうともブレずにただひたすらに「特攻隊のあの子たちの為に観音堂を建てなくてはならない。お国のために散らしたあん子らの命は、お国が弔わなければならない。」と言い続け奔走し、飛行場跡地に棒杭を立ててお墓の代わりとして欠かさずに毎日毎日お参りを続けていました。
その願いが叶い、知覧の飛行場跡地に観音堂が建立されたのは昭和30年秋のことでした。それからもトメは、晩年に足腰が悪くなり観音堂へ通えなくなってしまうその日まで、欠かさずお参りを続けました。そのたびに、近所の子供達を観音堂へ連れて行き掃除をさせ、特攻隊員のことを語りながら、おやつや果物などを食べさせて、観音堂に慣れ親しむよう、そして参拝が「当たり前」になっていくように長い時間をかけて尽力しました。

それが「特攻隊慰霊顕彰の町 知覧」の礎となり、現在へと続いているのです。

知覧の観音堂の御宝前で5月3日には毎年盛大な「知覧基地特攻戦没者慰霊祭」が催行されています。*本年は残念ながら新型コロナウイルスの影響により中止となりました。

鳥濱トメが遺した、特攻隊員への慰霊顕彰の気持ちを受け継ぎ、鳥濱トメの偉業を一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。
お時間がございましたら、皆様にもどこかで黙とうをお願いできましたらと思います。

事務局

【皆様へのお願い】
*顕彰会ホームページおよびフェイスブック、Twitterページの画像・音声・動画の二次使用、転載を禁止させていただきます。
(記事まるごとのシェアはぜひお願い致します。そこからの画像等の二次使用はご遠慮ください。)

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【お知らせ】「ホタル館富屋食堂」臨時休業中

【「ホタル館富屋食堂」臨時休業中】

鹿児島県知覧にある、鳥濱トメの孫で当会の鳥濱明久顧問が館長を務める、鳥濱トメと特攻隊の資料館「ホタル館富屋食堂」は、4/13~4/28まで新型コロナウイルス感染拡大防止の影響で臨時休業となっています。
また、知覧特攻平和会館 も4/13~5/6まで臨時休業です。

収束したら必ず訪れたい町、知覧。

英霊のご加護のもと、この日本に平穏な日々が一日も早く戻ってくるように、みんなで頑張りましょう。

#コロナに負けるな

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【鳥濱トメ次女、赤羽礼子御命日】

10月16日は鳥濱トメの次女、赤羽(旧姓鳥濱)礼子さんの御命日となります。

礼子さんは、戦時中は永崎笙子さんらとともに知覧高等女学校の女学生でありながら、特攻隊員の身の回りのお世話をされた「なでしこ隊」のお一人でした。モノクロの写真は、なでしこ隊の皆さんが昭和20年4月12日に知覧飛行場から特攻隊として出撃する穴澤利夫大尉(特攻戦死後二階級特進)を見送る様子を撮影したもので、1965年発行の「毎日グラフ」別冊に掲載されました。

 戦後20有余年経って、礼子さんが東京に開店した「薩摩おごじょ」は、特攻出撃から生還された方々や戦友、ご遺族らの集う場所として大変賑わいました。
生前の礼子さんは薩摩おごじょを営む傍ら、週末ごとに知覧に帰り、特攻隊員の出撃を見送った戦争中の語り部を長い間されていました。礼子さんがお亡くなりになられてからは、ご子息の赤羽潤氏(当会顧問)がお店を受け継ぎ、奥様と共に切り盛りされ、慰霊活動や語り部としても全国を飛び回り精力的にご活躍されておられます。
親子三代にわたり受け継がれる感動の物語は、カートエンターテイメント制作映画「さつまおごじょ」(『大河巡る~生まれ変わっても忘れない~』に収録)で観ることができます。

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【第68回特攻平和観音年次法要 参列】

【第68回特攻平和観音年次法要 参列】
9月23日(月・祝)秋分の日、世田谷山観音寺において『第68回特攻平和観音年次法要』が催行されました。

柿﨑理事長をはじめとして、当会が共催させていただいている来年上演予定のカートエンターテイメントプロデュース「帰って来た蛍~令和への伝承~」で鳥濱トメ役の伊藤つかささん、鳥濱礼子役の竹島由夏さん、同作出演の榎木薗郁也さんならびに当会会員複数名および事務局にて参列し、供花もさせて頂きました。
カートエンターテイメント「帰って来た蛍 出演者・制作一同」からも供花されておりました。
特攻平和観音年次法要は今ではあまり見かけることのない「神仏習合」で執り行われており、世田谷山観音寺太田恵淳住職の願文奏上と駒繋神社澤田浩治宮司による神儀が執り行われました。
参加者全員で「同期の桜」「海ゆかば」を慰霊献歌、焼香をして特攻隊員の御霊の安らかなることをお祈りいたしました。

当会では、主催の慰霊法要(慰霊祭)以外にも、他団体が主催する特攻隊の慰霊祭等も参列しております。
鳥濱トメの偉業を後世に遺していくことは当然の責務ですが、特攻という事実を伝え、先の大戦を風化させないよう努力し先人のご英霊への慰霊顕彰もしっかり行なって参りたいと存じます。皆様、ご支援ご協力の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

事務局

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令和元年8月15日、74年目の終戦の日

令和元年8月15日

終戦から74年目が過ぎました。本年もご英霊に感謝し哀悼の誠を捧げるため靖國神社と世田谷観音に参拝して参りました。

本年も多くの方々が参拝しておられましたが、年々参拝者は少なくなっている感じると同時に、参拝者の低年齢化が進んでいると思いました。二十代、三十代の姿が視界に飛び込んでまいりました。まず最初に世田谷観音の特攻観音堂に参拝し、正午前には靖國神社に到着し、黙とうを捧げました。

世田谷観音特攻観音堂に鎮座する「夢違い観音」様は、法隆寺の大宝蔵院に鎮座する「夢違い観音」様を特別許可を得て模造した観音様です。夢違い観音様の由来は「悪夢を見ても、この仏像に祈れば吉夢に変えてくれる」という信仰が起源とされています。
世田谷観音特攻観音堂には陸海軍それぞれ1尊ずつ、合わせて2尊の観音様が祀られており、陸海軍の特攻隊戦没者のご英霊のご芳名を書いた「霊爾簿」が胎内に収められています。
そして、知覧の特攻平和観音堂に祀られている観音様は、世田谷観音に祀られている観音様を模造したもので、鳥濱トメさんが東京から知覧へ持ち帰り観音堂に納められたものなのです。
そのため、靖国神社のみならず、ご縁の深い世田谷観音には毎年8月15日に必ず参拝させていただいております。

本年もこの日、靖國神社参道の大村益次郎横特設テントでは「第5回 靖國の心を未来へ! 感謝の心をつなぐ青年フォーラム」が開催されました。当会柿崎理事長はカートエンターテイメント代表取締役会長・映画監督として実行委員会共同代表を務めており、当日は理事長をはじめとして、赤羽顧問ご夫妻、顕彰会会員の方々、事務局もイベントに参加し日本と世界の未来を担う青年からの提言などをお聴きしてきました。先人の偉業や日本を想う若者らの提言は非常に胸を打つ話も多く、靖國神社の英霊にも届いたのではないかと感じました。

そして、本日お会い出来ました会員の方々、また、志を共にする同志の方々、今後とも宜しくお願い申し上げます。

事務局

世田谷観音2019.8.15 2019.8.15靖国神社 青年フォーラム

【新潟県内の高校生に「鳥濱トメと特攻隊」講演】

今年7月、新潟県内の高校生に対して当会赤羽顧問が『鳥濱トメと特攻隊』の講演を行って参りました。
同校では、修学旅行で鹿児島知覧を訪れ、戦争や近代史について学ぶ機会を予定されており、修学旅行を前に知覧で実際に起きた鳥濱トメと特攻隊員のエピソードを聞きたいとのご要望から実現しました。
中学、高校生に講演を行う際は、当日、事務局から講演前に戦争当時の時代背景や特攻作戦に至った経緯、そして鳥濱トメとはどのような人物であったのか等を画像を交えて説明し、そのあと赤羽顧問が鳥濱トメから直接聞いてきた隊員たちとのエピソードを感情込めてしっかりと話します。
講演後、生徒からはアンケートにご協力いただきますが、非常に前向きな意見が多く、当会もより一層、鳥濱トメと特攻隊について多くの方々に広める活動を続けていかなければならないという決意を新たにしています。

講演後に実施したアンケートを文章は原文ママで一部抜粋して掲載させていただきます。

「特攻隊の悲しさをよく知ることができた講演だった。これからも自分たちのような世代に伝えていくのを頑張って欲しい。」(女子生徒)
「今回の講演を聞いて日本の勝利のために命懸けで戦った特攻隊の人やその特攻隊を支えてきた鳥濱トメさんのことを知ることができてとてもいい講演だった。」(男子生徒)
「修学旅行というきっかけがあったからこそ、このようなお話を聞くことができ、大変有難かったなと思います。少しずつでも家族などに話して知っている人を増やしていければと思いました。」(女子生徒)
「命を散らした多くの英霊たちに、感謝の念を抱きました。」(男子生徒)

今後も全国にて講演活動をしてまいりますので、少人数でお考えの方でも、ご興味のある方はぜひ事務局までお問い合わせくださいますようお願いします。

【事務局】

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第73回 靖國神社みたままつり

7月13日より16日まで、靖國神社において『みたままつり』が開催されました。

246万余柱の英霊の御霊の安らかなることを願って、みたままつりに参拝して参りました。

本年も『知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会』の大型献灯が3つ、カートエンターテイメント主催で鳥濱トメ顕彰会が共催させていただいている舞台『帰って来た蛍』の提灯も大きく一文字ずつ6灯掲揚されました。当会柿﨑裕治理事長、舞台『帰って来た蛍』と映画『さつまおごじょ』で鳥濱トメ役の伊藤つかささん、同じく鳥濱礼子役の竹島由夏さん、『帰って来た蛍』初演で宮川三郎少尉を演じた出合正幸さんの大型献灯も飾られました。
また、当会柿﨑理事長は映画監督として「揮毫」を寄せ、伊藤つかささん、竹島由夏さん、出合正幸さんらの懸け雪洞もともに掲揚されました。

参道には露店もあり、若い方々を含め多くの人で賑わっていました。

事務局

献灯 柿﨑理事長 つかささん揮毫 竹島さん揮毫 出合さん揮毫 みたま看板

機関誌『蛍』第4号発刊

当会機関誌『蛍』第4号、新元号令和元年初の機関誌となります。

知覧での慰霊祭の様子や、万世の慰霊祭への供花、赤羽顧問の神奈川県内中学での講演、

関連図書の紹介、薩摩おごじょのメニュー紹介ほか、盛りだくさんの内容となっております。

会員の皆様には発送済みです。

ご転居等で返送されてくる会員の方が増えております。お手数ですが、ご転居の際には

お電話、メール、葉書、HPからの問い合わせ等をご利用の上、事務局までご連絡くださいませ。

 

事務局

 

第65回知覧特攻基地戦没者慰霊祭参列

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5月3日、鹿児島県南九州市知覧町 知覧特攻平和観音堂において「第65回知覧特攻基地戦没者慰霊祭」が挙行されました。
鳥濱トメ顕彰会理事長、赤羽潤顧問と会員を含む関係者が例年に続き参列してまいりました。
慰霊祭には800名を超える参列者が訪れました。しかし、年々参列者の減少が目立つようになりました。
慰霊祭の受付では式次第のほかに、特攻隊員を象った落雁や、名産である知覧茶葉の新茶、知覧町の観光マップなどが配布されました。
昼食用に知覧茶のペットボトルとおにぎりのパックも頂くことができ、受付会場で飲食することも可能です。

慰霊祭の開会前に海上自衛隊鹿屋基地から慰霊飛行でP-3Cが青空を舞いました。慰霊祭は開式のことばから始まり、日本礼道小笠原流鹿児島支部の方々の「献茶」、参列者一同「礼」、「黙祷」と進められていきます。黙祷の後、流れる読経の中で各関係者らの焼香、追悼の言葉、慰霊の言葉を市議会議長、県議会議員、ご遺族ならびに関係者が述べられました。その後、(社)詩吟朗詠錦城会による献詠、慰霊電報披露、参列者全員による献花、自衛隊による献奏、南九州市長挨拶ののち、参列者全員で「加藤隼戦闘隊」「同期の桜」を合唱し閉式となりました。おおまかな流れは毎年同様となっております。
本年は慰霊祭の終了後、当会理事長と赤羽顧問同行で、慰霊祭に参列したなでしこ会(戦時中に特攻隊員らの身の回りのお世話をしたなでしこ隊だった方々)の方々と一年ぶりの再会を果たし、少しお話をさせて頂きました。

ぜひ、一人でも多くの方に知って頂きたい事実があります。

大東亜戦争末期、悪化した戦局を打開するために用いられた作戦に若者たちが命を懸けて、家族、恋人、故郷を守るために、250キロから500キロの爆弾を抱いて「特攻」しました。そして、その若者たちを心からもてなし、心を痛めながら出撃を見送り、戦後は慰霊のために奔走し、その人生の全てを捧げた鳥濱トメとその家族の存在があったこと。
皆様も、ご家族、ご友人、知人の方々に伝えて頂けましたら幸いです。