知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

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第71回知覧特攻基地戦没者慰霊祭

第71回知覧特攻基地戦没者慰霊祭

令和7年5月3日、知覧特攻平和観音堂前にて第71回知覧特攻基地戦没者慰霊祭が挙行され、大東亜戦争末期の沖縄戦に知覧飛行場から出撃した439人を含む旧陸軍特攻隊の戦死者1036人のご冥福をお祈りしました。知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会としては、柿﨑理事長、赤羽顧問、舞台「帰って来た蛍」出演俳優、事務局等が参加し、トメさんのお墓参りをして改めて感謝を申し上げて志を引き継いで参りますことをお誓いした後、慰霊祭に参列しました。慰霊祭には北海道から沖縄まで全国各地から特攻隊員ご遺族221名を含む約700名の方々が参列されました。また、戦後80周年という節目であり多くのマスコミの取材がありました。特攻隊員ご遺族代表として、最年長の特攻隊員でした伍井芳夫大尉(中佐に特別昇任)のご息女である臼田智子さん(81歳)が埼玉県から来られて「慰霊のことば」を述べられました。伍井大尉は第23振武隊の特攻隊長として1945年4月1日に慶良間列島南において散華されました。享年32歳でした。遺言には「人生の総決算 何も謂うこと無し」と書かれておられますが、幼い2人の娘さんと生まれたばかりの息子さんがおられ、ご子息達への遺書には父親として子の将来を案じ諭す優しさが綴られています。その息子さんは伍井大尉の散華された3か月後に病没されたそうで、残されたご遺族は女性だけで大変な思いをされて生き抜いてきたとおっしゃられていました。伍井大尉は奥様に特攻に行くことを最後まで話さなかったそうですが、埼玉県の熊谷飛行学校桶川分教場の教官を務めたことがあり「教官として教え子だけを特攻に出すわけにはいかない。若い人だけにこの任務を背をわせるわけにはいかない。」そういう責任感から特攻に志願したのでしょうと臼田さんは話されていました。愛おしい家族をおいて日本の将来を信じて散華された特攻隊員の思いを受け継いで日本を立派な国にしていけるのは現在を生きている我々です。志をもって生を全うし日本の未来を紡いで行きましょう。

    

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