知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

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【第50回万世特攻慰霊碑慰霊祭】

【第50回万世特攻慰霊碑慰霊祭】

【第50回万世特攻慰霊碑慰霊祭】

 本年度も昨年に続いて新型コロナウィルス感染拡大防止のため150席まで座席数を減らし、感染防止対策を施したうえで令和3年4月11日に慰霊祭が挙行されたとのことです。
 当会では会員の皆様のご支援のおかげで毎年供花しており、本年も万世慰霊碑奉賛会より御礼のお手紙と本年の供花写真を賜りましたのでご紹介いたします。
一緒に掲載した写真のうち、仔犬を抱いた少年飛行兵たちは「第七十二振武隊」隊員です。前列左より、早川勉伍長(十八歳)、荒木幸雄伍長(十七歳)、千田孝正伍長(十八歳)。後列左から、高橋要伍長(十八歳)、高橋峯好伍長(十七歳)。みんな20歳にも満たない、あどけなさの残る若者たちでした。
 この写真は特攻出撃予定時刻の2時間前に撮影されたと言われていますが、くったくのない笑顔を見せていますね。この写真が朝日新聞に「某基地にて」と掲載されたため、戦後もしばらく第七十二振武隊は知覧から出撃したと伝えられてきました。実際には万世基地から出撃していることが戦後しばらくして判明し、話題となりました。
彼らは出撃の前日、南薩鉄道加世田駅近くの「飛龍荘」に宿泊していました。飛龍荘は大きな割烹旅館で二階に第六十六戦隊隊員、一階が特攻隊員の宿泊用とされていました。そして飛龍荘にも、鳥濱トメのように隊員たちに心から尽くしていた女主人、山下ソヨさんがいました。
 鳥濱トメや山下ソヨさんのように、親身になって隊員たちの面倒をみた方は全国各地にあった基地周辺に居たと思われます。しかしながら、戦後の混乱の中でも一切その気持ちがぶれることなく、特攻隊員の慰霊と残されたご遺族のために人生を捧げ、九州最大の陸軍特攻基地があった知覧の名を全国区とし、現在まで続く慰霊祭や特攻隊の顕彰事業を後世に残した鳥濱トメの功績は非常に大きなものであると思います。
当顕彰会は、これからも鳥濱トメの偉業を後世に伝え継いでいくために、活動を続けてまいりたいと思います。それには、皆様のご支援とご協力が不可欠であると考えております。何卒、今後ともご支援・ご協力の程よろしくお願いいたします。

事務局

第50回萬世特攻慰霊碑慰霊祭1

第50回萬世特攻慰霊碑慰霊祭2

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