知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会

当会は、特攻隊の偉業を顕彰し鳥濱トメの想いを引き継いで、正しい歴史認識を広めるための活動をしています。

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鳥濱トメ御命日

鳥濱トメ御命日

今から29年前の平成4年4月22日、特攻隊員から慕われ、『お母さん』と呼ばれていた鳥濱トメは鬼籍へと入りました。

本日は御命日となります。

 大東亜戦争中、鹿児島の知覧町(現南九州市知覧町)の陸軍指定食堂となった「富屋食堂」の女将、鳥濱トメ。
しかし戦況の悪化した戦争末期には、知覧飛行場は陸軍特別攻撃隊の出撃基地となります。その知覧基地から出撃した特攻隊員は436名にものぼります。
 特攻隊員は、全国から知覧へと集められました。年齢は20歳そこそこの若者が殆どで、中には10代の隊員もいました。その出撃前の最後のひと時を深い愛情で包み、彼ら全員の”お母さん”となったのです。
戦争中は「軍神」などと世間から崇められた特攻隊でしたが、敗戦後すぐに手のひらを返したように「軍国主義の象徴」などと蔑み、生き残った方々でさえ「特攻崩れ」と言われ罵倒されました。
 そんな中、世間が何と言おうともブレずにただひたすらに「特攻隊のあの子たちの為に観音堂を建てなくてはならない。お国のために散らしたあん子らの命は、お国が弔わなければならない。」と言い続け奔走しました。観音堂が建立されるまで、飛行場跡地に棒杭を立ててお墓の代わりとし、毎日お参りを続けていました。
 その願いが叶い、知覧の飛行場跡地に観音堂が建立されたのは昭和30年秋のことでした。それからもトメは、晩年に足腰が悪くなり観音堂へ通えなくなってしまうその日まで、欠かさずお参りを続けました。そのたびに、近所の子供達を観音堂へ連れて行き掃除をさせ、特攻隊員のことを語りながら、おやつや果物などを食べさせて、観音堂に慣れ親しむよう、そして参拝が「当たり前」になっていくように長い時間をかけて尽力しました。
 それが「特攻隊慰霊顕彰の町 知覧」の礎となり、現在へと続いているのです。
 知覧の観音堂の御宝前で5月3日には毎年盛大な「知覧基地特攻戦没者慰霊祭」が催行されています。*昨年、本年は残念ながら新型コロナウイルスの影響により中止となりました。
 鳥濱トメが遺した、特攻隊員への慰霊顕彰の気持ちを受け継ぎ、鳥濱トメの偉業を一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。
 お時間がございましたら、皆様にもどこかで黙とうをお願いできましたらと思います。

事務局

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tokkohei 

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